丈・獅子丸の咆哮 (新館)

日常について、ゆるゆると語る。
そんなブログ。
ファイナンシャル・プランニングのご相談は受け付けておりませんですわよ。おほほほほ。
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< April 2006 >>
PROFILE
 
 
CLANNAD関連記事一覧
ARCHIVES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
MOBILE
qrcode
OTHERS
忍者アクセス

で、皆さんにお願いです。

で、皆さんにお願いです。



ゴールデンウィークって何、というくらいほとんど予定のなかった私ですが、数少ない予定も今回の母の入院騒ぎで、ふっとんでしまいました。



ですので



 誰か、一緒に飲みに行きましょう!!



 私は、いつでも、暇です。



 



連絡、お待ちしております……。



5月9日追記: で、誰も遊んでくれなかったとさ……(泣。泣。号泣。)


| | 日記・エッセイ・コラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

2006年4月28日の日記

朝、病院へ行ってみた。



集中治療室で、母は、腹が痛いとうめいていた。昨日よりは、意識がはっきりしている模様。で、酸素マスク越しに母が声をかけてくる。



「手術、まだ?」



 



 



「はぁ????」



 



 



「だから、手術、まだなん?」



「………。もう、終わっとんで。」



「…………。えーーーー。もう、終わってんの?」



 



運ばれていったときのことは覚えているが、それからどれだけ時間がたったのかが認識できておらず、なんで、こんなにお腹が痛いのかようわからん状態で、手術はまだ、なんかなぁとずっと思い続けていたそうだ。



確かに、手術室から出てきたときに、ひっぱたいてでも、「手術、終わったぞ」とは、言ってなかったというのもあるわな…。



しかし、麻酔の影響で混乱しているのか、いつもの天然ボケなのか、認知症の初期症状なんか、よくわからん応答をするんじゃないと思った。



それから、区役所へ行って、なんか証明書をもらってきて、消防署へ行って、危険物取扱者試験の願書もらってきて、月末なので、有給とってるのに、わざわざ勤務先の大学へ行って、派遣会社のタイムシートにサインもらって、迷惑をおかけした人々にお詫びを言ってまわって、また、「顔、疲れてるで」と方々で言われ、助教授の先生に研究内容のことを少しディスカッションして、4時前に帰った。



ほんで、再び、病院へ行って…。



ああ、しんど。


| | 日記・エッセイ・コラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

で、手術終了と。

そして、病院へ。



昨日とほぼ同じ話を、今度は親戚の者も交えて聞く。1時スタートとのこと。普通のその手の手術で、だいたい3時間から4時間かかるとのこと。実際、どれだけかかるのかは、やっぱり開けてみなければわからない。



で、病室へ帰って、母に承諾書をぴらぴらさせながら、「サインしてきたぞ〜」と示す。「父ちゃんと姉ちゃんが手招きしとっても、ついて行ったらあかんからな」と念押し。



1時に運ばれていく母。



………。待つ。待つ。待つ。



4時前に、内科の先生が切除が全て終わったと伝えに来る。やはり、小腸もかなり巻き込んだ大きな腫瘍であったとのこと。これから、接合と縫合にはいるとのことであった。覚悟していたよりかは、早い。



で5時半くらいに、運び出されてくる母。



 



で、摘出した大腸と小腸と腫瘍を前に説明を受ける。腸は、あまり見慣れてないのでなんだかよくわからないが…。まぁ、開けてみて肝臓にも転移が見つかった父のときよりは、はるかにましというべきか…、肝臓にも転移は見られず、また、怪しげなリンパも完全にとったとのこと。



あとは、腫瘍マーカー値がどうなるのかで、余命が算出されるのであろう………。



余命3年と言われながら、10年もった姉の例もあるので、それもなんとも言えんが…。



母が、あと、数年でもかまわないので、安らかな生活がおくれることを願う…祈るばかりです…。



 



 



 




| | 日記・エッセイ・コラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

で、今日になって

また、昨日と同様に朝から深夜アニメを消化していると、携帯が鳴る。



「公衆電話」との表示。多分、母からであると思い、出る。



すると母が開口一番「手術、今日やて。」



………なんですとぉ!!!



じゃあ12時に行って、はんこついたら、スタートなんかい!!!





仏壇に手を合わせて、父ちゃんと姉ちゃんに連れていかんといてなとお願いしてから、病院に行ってきます。


| | 日記・エッセイ・コラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

2006年4月26日の日記

今日は、これ以上、何も起こらないであろうから、もう、書いてしまいます。



12時30分に病院へ呼び出されたとはいえ、朝はいつもの時間に目を覚ましてしまう。で、朝から本当に見る暇がなくなった撮りだめしていた深夜アニメを消化しつつ時間をつぶす。



で、執刀予定の先生の話を聞く。いろいろと説明を受ける。大腸の右側半分を、とってしまうらしい…。そして、リスク等の話をいろいろと聞く。お医者さんの説明責任とやらも大変なんだなぁと思う。で、検査のため、腸がからっぽになっているし、腸閉塞の危険があるということもわかるし、ゴールデンウィークにかかる前に手術したいという気持ちもわかるし、開けてみて中の様子で、手術内容が変わるというのも、よくわかる。それに、他の患者さんとの、かねあいもあるということもわかる。



…………………………………。



 



 



 



    し    か   し   な   あ…………。



 



 



 



せめて、手術日程がちゃんと決まってから、話、してくれ…。



 



 



また、明日の12時に来いやとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。



ひょっとしたら、明日、承諾書にはんこを押したら、そのまま、手術開始ということになるやもしれんそうですが…。頼むから、日程、はよ決めてくれ…。


| | 日記・エッセイ・コラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

2006年4月25日の日記

朝10時からの少人数緊急ミーティング前に一仕事終わらせなければならなかったので、とりあえず、朝6時に家を出た。なんとかかんとか、10時前に一仕事終わらせて、メールチェックすると、当事者の一人からの「寝坊しました」とのメール。10時になっても、もう一人の当事者が来ない…。緊急ミーティングの意味ないがな…。で、いつもの面子での話し合いがスタート。なんじゃ、それは…。



で、大急ぎで、やらなければならないことを終わらせて、午後3時に、早退。母の入院している病院へ向かう。



とりあえずの検査結果を聞きに行く。病院の前で親戚の者と合流し、そのまま、先生のところへ行く。



検査結果は、ほとんど、わかったようなわからないような感じであった。開けて、中を見てからが勝負であるということを再確認しただけであった。ただ、腫瘍自体がムチン分泌型であったそうだ。「ムチン分泌型……」と口にして、あたかも、どう説明しようかとお医者さんがしばらく悩んだとたん、親戚の者は「粘液の…」と口にし、私は「糖タンパクの…」と口にした。高校生物教師と生物化学博士号取得者相手に説明するお医者さんも大変だと思った。分泌型なのが気に食わないのだが、まぁ、開けてみなければなんとも言えん。



ところが、執刀する外科医が他の手術が入ったために、説明にこれないとのことで、手術の説明に明日、12時30分くらいに来てくれと言われた。



で、手術が27日になるのか、28日になるのか、まだ、決まってないとのこと。





で、家に帰って、ひたすら、明日の指示をメールに書きまくり……めっちゃ、時間が過ぎていることにふと気がついたのがさっき。



……明日も、有給休暇か………。


| | 日記・エッセイ・コラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

予定が立ちません。

4月24日 午前中いっぱい 報告会



4月25日 15:00早退予定



4月26日 午前中いっぱい ミーティング



4月27日 午後より 移転先での機器の移動作業



4月28日 午前中いっぱい 報告会



上記以外に少人数緊急ミーティングが一つ。日時未定。あと、忙しい助教授との話し合いを早急に持たなければいけないのだが、先の少人数緊急ミーティングが終わってないので予約不能。



当然、毎朝、三人の私の娘さん達に指示出しをせにゃならん。



先月までの、のほほんと実験だけしておればよかった暮らしが嘘のよう。



 



こ こ ま で い ろ い ろ あ る に も か か わ ら ず………



 



4月27日 木曜日に母の手術が入る…予定。



どうなるのかが決定するのが、25日の夕方。…………。



えーっと……、わしの予定、どーなるんでしょう???


| | 日記・エッセイ・コラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

2006年4月20日の日記

眠れぬ夜を過ごし、朝、10時に目を覚ます。



本日は、病院に担当の医師の話を聞きにいく日であった。親戚の者と一緒に病院へ。とりあえず、母に会う前に先生と話をしようということになった。受付で担当医に連絡をとってもらうと、4階のナースステーションに居るので来てくれとのことだった。母の病室も4階だったので、親戚の者と、母に見られたらどないすんねんなどと話をしながらエレベーターで4階へ上がる。エレベーターのドアが開くと、そこには、母が立っていた……。



とっさに口をついて出たのが「いよぉ、久しぶりっ!」 母も「久しぶりっ!」と答える。48時間ぶりくらいのはずなんだが…。



昼から、神戸の方で仕事などと、誤魔化しつつ、母の病室へ。母は、売店へテレビガイドのようなテレビ番組表を買いに行こうとしていたとのことであった。



4階のナースステーションで話してたら、絶対に、見つかってたよ…ととりあえず胸を撫で下ろす。



しばらく、話をして、帰るふりをして、再び、受付で先生に連絡をとってもらい、X線科の奥の奥の得体の知れないスペースでようやく先生との話がスタート。



CTで判るくらいのおそらく卵大から握りこぶしくらいの大きさの巨大な異物。腸閉塞の恐れがあるため、早急な手術が必要とのこと。検査ができるのが来週24日か25日くらいとのこと。最速で27日に手術。



今のところ、CTやレントゲンでは、肝臓や肺には病変は認められないとのことであった。しかしながら、こちとら癌患者家族のプロです。そんな言葉に安心したりしませんよ。父のときも、そんなことを言われながら、手術してみたら、いろんなところにいっぱいあったという経験がありますもの。もちろん、他に転移していないことをひたすら祈ることしかできないわけなんですが。とにかく、開けて見てみないことには、何もわからない。そのためには検査結果が出て来ないと何も判らない。



ということで、25日夕刻に再び、結果を聞きに来ることを約束して取り合えず、話を終える。なんだか、ものすごく疲れたと思う。まだ、一日の半分も終わっていないのに。



で、昼から今後、頻繁に使用するであろう車を、バッテリー交換して、動くようにし、ガソリンを入れた。



夕方から、方々へいろんなところへ電話をいれていろんなことの調整を行う。義兄にだけは、全て、話をする。義兄も絶句。そりゃまぁ、そうだとは思う。私も、何と言えばいいのか、わからんもの。



 



とにかく、来週の予定が、一切、たたん……。困った。


| | 日記・エッセイ・コラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

2006年4月18日の日記

本日の実験の指示を出した後、研究室移転先に行って、メジャー持って、部屋や備品の寸法測って午前中が終わる。



疲労困憊しつつ、今日の私の実験の仕込みをし、今日がまだ、火曜日であることに愕然とする。私の気分的には、なんかすでに木曜日の気分だった。



修士の学生のテーマ用の論文を読みつつ、遺伝子マップをこねくり回し、4年生につきっきりで実験の面倒をみながら、研究補助の娘さん達のバックアップを行う。



私の実験の二段階目の反応の仕込みを行っていたときに携帯電話が鳴る。



今日、母親が検査入院した病院からだった。



かかりつけの医者から病院で検査しろと言われ、病院行って検査したら、検査のために入院してくれと言われ、翌日、検査入院。そんで、その日のうちに、息子の私のところに病院から電話がかかってくる。



なんの話かと言われれば、十人中、九人以上は正しい想像ができることであろうと思った。





予想通りの病名だった。



「癌です」とはっきり言われた。





父親の命を奪い、姉の命を奪った病気が、母親にまで。





今日の明日では、指示の段取りもつかないし、明日は、再び、研究室移転先に行かなければならないので、病院へ医者の話を聞きに明後日に行くと伝える。どんなもんなのか、どんな状況なのかを知らないことには、話にならない。母親本人にどう伝えるのかも考えなければならない。自分の夫、そして娘の様子、最期を見てきた母なのだから、恐らくは、この後の治療の状況で自分の病気が何なのかは、すぐに気付くと思う。でも、伝えていいのかどうかよくわからない。





二段階目の反応の仕込みを完了させ、明後日の休みの手配をして、博士課程の学生に後を託し、親戚の者と話をするために早々と帰宅した。





悲しいというよりも、なにか、くやしかった。家族全員が、癌になるとは。恐らく、自分の体内にも、暴走する遺伝子が確実に存在しているであろうことが予想できるようになったので、こんな腐れた遺伝子を後世に遺すことがなくってよかったとも思った。まぁ、それはあんまり関係ないか。



病院をどうするかを決めなければ。父と姉が入ったっきり、二度と出てこれなかった病院なので、母親は嫌がっていたので。母のかかりつけのお医者さんは、一番、最適な病院を紹介してくれてるはずなんだから、そこで手術するのが良いと頭ではわかってるんだが、私も、完全に納得できていない。だから、母のかかりつけの先生に明日、連絡してみようと思う。最適な病院であると言ってもらおう。そうしないと私が、母を説得できなさそうだから。





忙しさのピーク期に現れた災厄。




| | 日記・エッセイ・コラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

新たに

新たに、当面、さらに学部4年生を一人、面倒を見ることとなってしまひました。



…………。



 




| | 日記・エッセイ・コラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)