丈・獅子丸の咆哮 (新館)

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『知力は誰にも奪えない』

NHKの番宣で、気になる台詞がありました。

 

『知力は誰にも奪えない』

 

なんだろうと気になって調べてみましたら、森絵都さんという方の「みかづき」という小説の一節らしいです。

NHKの番宣もこの「みかづき」を原作にしたドラマの番宣のようで。

 

原作の該当箇所ですが

「正義や美徳は時代の波にさらわら、ほかの何ものかに置き換えられたとしても、知力は誰にも奪えない。十分な知識さえ授けておけば、いつかまた物騒な時代が訪れたときにも、何が義であり何が不義なのか、子どもたちは自分の頭で判断できる」

とのことです。

 

おっしゃる通りだと私は思います。

私の経験・経歴を踏まえて、私の言葉で表しますと、

 

「『考える力』というのは、子どもたちにとって、この先、生きていくための力である」

 

ということです。

 

なかなか、気になる作品です。

 

 

 

 

ところで

以前、私、この記事でこんなことを書いたことがありました。

 

「身につけた筋肉と知識だけは、だれにも奪えない。」

 

これ書いたときから、「『知識』じゃないよなぁ…」とずっと思ってたんですけれど、そうか『知力』の方がいいですよね。『知力』の方がしっくりきます。

これはどちらかと言いますと、老齢期に差し掛かった自分自身へ向けた言葉なんですけれどね。

「どんな環境になったとしても、全てを失ったとしても、身体と脳みそだけは手元に残る」的な。

「どこに行こうと、どんな環境でも、おべんきょうと筋トレだけはできる」的な。

 

いや、もちろん、子どもたちにも必要なことだと思うんですよ。

「健全な精神は健全な肉体に宿る」的な意味でも。

あるいは、「『知力』を支えるのは『筋肉』」的な意味でも。

あ、同じか。

 

 

 

最近、私、ちょっとだけ方向転換しまして、

 

「身につけた筋肉と知力だけは、だれにも奪えない。自分が抗い続けるかぎり。」

 

と考えるようになっております。

自分が手放すことを容認してしまうと、この両者は、とたんに失われて…奪われて…いきますよね。

 

失われる分以上に、身につけていけばいい…なんて脳筋的なことも思うようになってます。

死ぬまで、増やし続けるぞ!

 

 

 

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